第5回 イタリアの大家さん その2 ペルージャ
3ヶ月ほどペルージャの外国人大学に語学研修にでかけた。大学推薦の不動産屋で聞いてみると、先着順で今は物件がないといわれ途方にくれていた。と、老女が寄ってきて私のうちなら貸してあげられるから見においでとのこと。わらにもすがる思いで行ってみると少々高級ながら公団アパートのようなところで、せっかく古都ペルージャまで来て何を好んでこんな中層アパート群を眺めなければならないのだろうと思う。しかし駐車場もあるので、背に腹は変えられず住むことに。彼女は年金生活者で、毎日のスポーツクラブでのトレーニングではつらつとしており、いちど車に乗せてもらったときは、自分の無謀運転を棚に上げて、相手ドライバーをどなりつけ威嚇するちょっとした演技派。
私に与えられた部屋は5畳弱でベッドと机でいっぱいで、洋服ダンスもないのでトランクが箪笥代わり。少女っぽいシャンデリアがついているのがご愛嬌だった。部屋に入らないものは車のトランクに。出したり入れたり車に通って何だかジプシー気分。
玄関からリビングまでは大理石張り、その後は大理石風のタイルばりで、4月とはいえ底冷えで悩まされた。広いリビングは家主専用で、私が使えるのは小さいテレビのあるダイニングキッチンだけ。食事は作ってもいいけれど、毎日は困るとのこと。それでは面倒だと外食ばかりしていたらどうしてつくらないのかと聞かれ、ややこしいこと。お茶を飲んでいるとテーブルが痛むからカップの下に皿を置けという。分厚いビニールのテーブルクロスをめくってみると、ベニアに毛の生えたようなお粗末なものだった。
浴槽はもちろん無くシャワーのお湯は弁当箱を少し大きくしたくらいの貯湯式。あまりに容量が少なくて、シャンプー途中に冷水になってしまい、震える羽目に。それからはシャンプーの日には体は流すだけという方式を学習。湯沸し器には温度調整がついていて、中くらいの温度に設定されている。温度を少し上げようと思うと、動かせないようにしっかりビスで止められていて動かない。
それでも日本人はあきもせずよく毎日シャワーを浴びるね、と厭味をたっぷり云われる。
部屋を出るときには電気を消すように言われていたが、ある日自室のとなりの洗面所から戻って本の続きを読もうとすると何かうす暗い、上を見るとシャンデリアが消えている。いつもスタンドでは暗いので両方つけていたが、あの老女が入ってきて消したに違いなくきっと私の動静を窺っているのだと思うといささか憂鬱。
部屋貸しといっても、この家では大家は平気で私の部屋に入ってきては雨戸を昼から閉めるし(家具が陽焼けるのを恐れて)何か居候のような待遇だった。デスクも新建材の安物なのに、汚されないようにとの思いかサランラップのようなものが張ってあり、椅子は日焼けを恐れてシーツでくるんで結んであり、そのせいでちゃんと座に腰がとどかず、座り心地の悪いことといったらこの上もなく。
1ヶ月しか居なかったが、最後に光熱費含むという約束を、そんなことは言っていないとの一点張りで押し切られてしまったのであった。
オリーブ園の家主
あまりの居心地の悪さにすぐに家探しを始めていたので、次は夢のような家に移ることに。
不動産屋で短期間なので少々お金がはってもいいから、まともなところを探してというと、前の3倍くらいの家賃だが100坪くらいの庭つきのところをさがしてくれた。
オリーブ園のオーナーの屋敷の1階。オーナーの庭は別になっているので、つるバラに囲まれた屋根つきのテラスに8人がけのテーブルのある庭は、私の専用だった。オリーブ畑に囲まれた一軒家でそこから見る夕日の美しいこと、住所もイタリア語で夕日が丘。
庭はゆるやかに傾斜した芝生で、白や黄色の小さな小花が一面を覆っていた。花が少し大きくなると庭師が芝刈りに来てきれいに刈り取ってしまうのが残念だったが。
モダンなキッチンと20畳もあるリビング、5段ほど上がって10畳以上の寝室とジパンシーデザインのタイルばりのトイレ洗面シャワー、ああここにも浴槽はないのだった。しかし湯量が多いし、5月になって気候もよくシャワーなしでも満足。
玄関ホールには、ボッティチェッリの【春】の原寸大のものがかけてあった。友人達は玄関だけでも私のアパートくらいはあるというくらいの広さである。
ここでも家具だけはやっぱり家主のお下がりで、机はいったいどこから拾ってきたの、といったもの。安物のスタンドが壊れたとき、大家が直してくれまたすぐ壊れたので仕方なく新品を買ってしまった。スタンドなら持っていけるので。
あまりにも庭が素敵なので、ときどきパーティーをやってもいいかとお伺いをたてると、お好きなようにとのことで、毎週末にはなにかしら集まりをしていた。食事の用意が整うまで、「それでは庭でも散歩していらして」というせりふを言えたのも生まれて初めてであった。
ボッチェッリの“コンテ”(あなたと共に)という歌が流行っていたとき、あるバーベキューのあと皆で盛り上がって歌っていたら、いつのまにか夜中の2時を過ぎていて、翌週大家に‘びっくりして奥さんともども飛び起きた‘と言われ平謝りだった。
この大家とは縁がつながって、いま友人で東京にあるイタリアレストランのオーナーがそこのオリーブオイルを輸入していて、好評とのこと。廃屋だったところをあたらしくアパートに改修したし、今度はプールを作るといっていて、いつか訪ねたいと思っている。
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